2002年
目指せ!8耐
〜 鈴鹿までの遠い道のり 〜
written by cow-boy

 ●7月19日(金)。。。


 ホレホレ、この日付を見よ―っ!今日の日付を思い知れ―っ!
 そーよ、そーよ、ついにここまで来たのよ〜(感涙)

 というわけで、そーなんです。2週間後の今日!今晩!まさに私は旅立つのです、聖地鈴鹿を目指して・・・
 そして2週間後の明日は!.....スペシャルステージがぁぁぁぁ―っ!
 そしてそして2週間後の明後日はっ!.....いよいよ8耐決勝だぁぁぁぁ―っ!

 そしてそしてそして―っ2週間後の明々後日はっ!.....早朝には東京に戻ってるぞぉぉぉぉ―っ!

 あ・・・・・・・・・・・(-_-;)

 とまぁ、祭の終わった後の事は考えるものではありましぇんっ!
 ですよね?ですよね?今が超ワクワクモード全開バリバリなのだからE―っのです。

 さて、この7月の世の中はまさに台風に.....しかも2つもやってきて、おまけに両方とも日本に上陸して行きなさった。かなりの爪痕を残して・・・。被害に遭われた方々には慎んでお見舞い申し上げます<(_ _)>

 そうそう、台風といえば。。。。。(遠い目)

 '97年の8耐は、まさに台風に引っ掻きまわされた大会となりましたね。
 私も現地を訪れていました.....家族連れで.....しかも2歳になったばかりの長男殿を連れて.....。(ちなみにこの長男殿の名前を『鈴輝』といいます。なんて読むのか?フフフ…それは、はい、その通りです。笑)
 金曜の夜に車で東京を出発しました。
 出発の日が近付くに連れて「台風」という不気味な影にビクビクしながらも、きっと進路が反れてくれる!そう信じつつひたすら鈴鹿を目指しました。
 到着は明け方5時くらいだったと思います。宿をサーキット近く平田駅周辺に取っていましたのでまずはそちらへチェックインしました。部屋に入ってTVをつけるとおもむろに台風情報が・・・。そこには波しぶきを高らかに上げ荒れ狂う伊勢湾の様子が映し出されておりました(汗)。

 しかーし!なんぴとたりとも我々の行く手を阻む事許すべからず!.....と自分自身に気合を入れつつ、盛り上げつつ.....しかし、本音を言うと・・・え〜〜〜マジっすかぁ〜〜〜うへぇ〜〜(狼狽)

 本来ならば、そんな宿でウダウダしている暇などなくとっととサーキット入りしていくのですが、やはり気持ちが超重なのでしょうか、4耐決勝が始まっている頃のろのろとサーキットを目指し宿を後にしました。西コースの臨時駐車場に車を入れました。ですが、車から降りる気が起きないくらい辺りは風雨が物凄いっ。まだ2歳の長男殿をベビーカーに乗せて荒れ狂う暴風雨の中を必死に耐えながらスタンドを目指しました。ここいらへんはまさに見るも涙語るも涙の物語・・・(;。;)

 そうそう、この暴風雨がどれくらい凄かったかというと、4耐が3耐になったくらいですからね〜ほんと(笑)。そうです、時間短縮になったんです。そういえばその昔、やはり台風直撃で、8耐が6耐になったこともありましたっけ。その時に史上初めて日本人ペアが優勝したんですよね〜・・・と話を元に戻しまして。
 あ、それから8耐のスペシャルステージも中止になりました。ですから金曜日までの暫定予選結果がそのまま本戦の予選結果となりまして・・・とにかくもうひっちゃかめっちゃかでした。

 この土曜日に私ら家族がサーキット内でどのように過ごしたのか、今考えてもさっぱわかりましぇん(爆)。ただ早々に退散して、HONDAの工場方面にできた新しいショッピングモール内に逃げ込み、そこでウダウダ時間潰しをしていたように思います。はい。

 決勝当日はまだまだ台風の余波は残っていたものの、前日ほどの荒れはなかったように思います。ただ時折強い風と雨で・・・・とにかく長男殿には可哀想な事をしてしまったなと反省しきりでございます。その当時桜井ホンダのスポンサードをしていた円谷プロによるウルトラマンショーで彼には機嫌を直してもらいましたとさっ。

 台風直撃の憂き目に遭った8耐でしたが、なんとかゴールまでは逃げずにいましたよ。この日の夜空に咲いた花火の花弁は何とも言われぬ感慨深いものに感じられました。いやはや、冗談抜きにして幼い子供連れにはあまりに過酷な8耐でございましたとさ。
 もちろんそんな彼の記憶には、こんなエライ目にあったことなどすっかり残っていませんけどね。まぁそれはそれでヨシとしましょうか。


 さて、あと2週間と数日。
 神様、仏様、キリスト様に、えっとえっとアッラー様...まぁなんでもいいや、とにかく台風だけはご勘弁を〜〜〜〜〜<(_ _)>(懇願)





・・・まだまだ続くでぇ〜〜・・・

次いくわよ〜

もどるわよ〜