病院へ行こう

=The Final=


勇気をもらって.....

 すっかり心身ともに”プラスマイナス・ゼロ”になりつつオレは、毎日をここぞとばかりにenjoyしていた。両松葉がやがて片松葉となり、傷口の見てくれはまだまだ汚いがそれでも包帯などはすっかり取れて、あとは時間にお任せ状態となっていた。

 例の「朝練」は相変わらず続けていたし、院内での日常もベッドの上でのゴロゴロは避け、なるべくあちらこちらへと歩き回るようにしていた。それはすなわち全てリハビリ代わりの意味合いを含んでいた。
 暇さえあれば病棟ロビーに出て、他の患者さんとの交流を求めたりしていた。
 もっぱらオレのいるフロアは「整形外科」と「形成外科」のみの病棟なので、ここに上がってきている人達はパッと見、命にかかわるような人は見受けられなかった。つまり患部以外の身体は元気だということである。それ故か、病棟の雰囲気もなんだか活気があって明るく感じられるのもそれが要因になっているような気がする。
 まぁ、ここに至るまでには当然オレのように激痛を乗り越えてきた人達ばかりであるということは間違いない事実ではあるが、むしろその激痛を乗り越えてきたゆえの悟りの境地であろう・・・・・・わけはないか(笑)

 いやはやオレも人の事は言えないが、ここには本当に様々な人達が集っている。様々というのは当然症状のことだが。
 内科とか外科、その他内臓疾病系だと表からではその様子はわからないが、こと整形外科ともなると大体はどこが悪いのか一目瞭然であった。

 30代後半のオヤジさん。見たところ右腕の肘から先がなくなっている。聞くところによるとこのオヤジさんは電気工事技士で、電気工事中に誤って感電してしまったそうだ。高電圧の電流が右腕の肘から入り、指先へと抜けていった。手当て後しばらくの間は様子を見ていたのだが、やはり電気の流れた個所は徐々に壊死していき切断という決断に至ったという話しである。しかしその件に関してはもう済んだこととし、本人もかなりサバサバと自分のことを世間話のように他人に語っていたっけ。努めて前向きでいようとしている姿勢が窺い知れた。

 いつも室井のオッサン共々一緒に風呂に入っている例のニーチャンは、交通事故かなにかだったと思うが、頚椎をやられて当初全く歩くことは元より起き上がることもままならない状況であったらしい。しかし弛まぬリハビリに精を出し、風呂に入れるようになったその頃には歩行器に捉まりながらの歩行もできるようになっていった。

 そう、それから同室の室井さん他オッサン達のような大腿骨骨頭壊死。
 彼らに接し、初めてこんな病気があることを知った。
 これまた同室の遠藤くんは、ハシゴから落っこちて骨盤骨折とか...

 あと、退院した遠藤くんの後釜のオッサン(おっと、初キャラ!)は、膝の「ネズミ」除去の為に入ってきた。みんなが「ネズミだ、ネズミだ...」と言うのを聞いて、「なんすか?ネズミって...?!」「膝にネズミがいるんだよ。」...オレはなんのことやらわからんで、「ムムム…膝の中に虫のようなものがいるんかいな?!げげっ、気持ち悪ぅ〜」
 なんのことはない、膝の「遊離軟骨」のことだった。軟骨の一部が膝の関節内であっちいったりこっちいったりして、膝の神経にちょっかいを出し、これが結構痛いらしい。これもその時初めて知ったわけで、いやぁ〜いろいろ勉強になるなぁ〜。

 やはり、やんちゃなニーチャン達にはバイクでの事故が多いみたいだ。・・・って、オレもまさにそのものだったが・・・
 腕やら足やらにギブスを巻き巻き。そういった者同士が集い、まるで修学旅行さながらのノリ。だから病棟が明るいのかもしれない。・・・ていうか、うるさいっ(笑)

 ロビーのソファーにふんぞり返りながら入院仲間と楽しげに会話しているその向こうを、年の頃なら20歳前後のお嬢さんが通り過ぎていった。見知った人達と擦れ違いざまに笑顔で明るい挨拶を交わしていた。そう、とても快活で底抜けに明るそうな女の子。手馴れた松葉杖さばきで歩き去っていく後姿は、2本の杖と、1本の足。そう、彼女の足は1本だった。ここでは敢えて「1本しかなかった」とは言わない...言えない。彼女を見ていると「1本もあれば十分!」...そんな彼女の意気込みが感じられたのであった。
 しかし、自分の気持ちをそこにまでもっていくのにはまさに想像を絶する自分自身との闘いがあったであろうことは明らかであった。死闘そのもの。
 彼女の笑顔の向こうには、そんな死闘を勝ち進み、壁を乗り越えてきた者だけが得られる自信に満ち溢れ、力のこもった、そんな光りが見えていた。
 そんな様子を傍らで見ていて、うん、きっと彼女なら大丈夫。きっとこれからも今まで同様元気で歩んでいける。明るく振舞うそんな彼女を見ながら無責任にもそのように思った。
 ・・・そして今でもきっとどこかで・・・

 オレ自身もそんな彼らの一部を経験しているからこそ思ったのかもしれないが、「可哀想に・・・」などと相手に対して思ったりそういう行動を取ったりすることは、ここではタブーであり大変失礼なことだと思った。
 前述の片腕を失ったオッサンや、片足失ったこの彼女を前にしてそのような言動を取ることはそもそも不可能であった。大いなる困難を乗り越えてきた彼らの超前向きな姿勢を見ていると、逆にこちらが見守られているような気になってくる。あちらさんの方が遥かに人間がでかくなっていることを痛感した。
 やはり人間、どんな困難をも乗り越えてきた者は強い。

 彼らに比べたらオレの怪我などは微々たるものさ。
 そんな彼らと接し、勇気と気合いを分けてもらった。そんな気がした。






看護婦さんとお戯れを〜〜〜(爆).....
 .....と、しんみり真面目に語った後にこれでは、まったくもって前言の信憑性が損なわれてしまいそうではあるが、やはりいつも身近で直接的・献身的なお世話になっていた看護婦さんを抜きにしては「病院へ行こう」の真髄は語れまい。

 そんな可愛い看護婦さんと、あ〜んなことや、こ〜〜〜んなことや・・・




 ないってばさ・・・なにも(惜っ)




 思い起こせば、某年10月某日。計らずもその日はオレの誕生日イヴだった。
 ズッコケ野郎のオレはバイクで事故りここにご厄介になることになったわけだが、最初に接した看護婦さんは、例の「般若」さんだった。しかしその時そのような空気は全くの皆無で、若くて美人な「般若」さんは飛びっきりの明るい笑顔でオレを迎え入れてくれたっけ。
 でもね、その後間もなく訪れた”拷問”の最中もその”飛びっきりの明るい笑顔”でいられると、その笑顔がとてつもなく冷たいものに感じ、そして少々怖いものを感じ・・・。でもまぁ、「尿瓶で乾杯!」した仲だからさっ♪(爆)(第5話参照)

 やはり大きな大学病院だけあって看護婦さん不足とは言われていたがそれでも結構な人数いたように思う。

 婦長さんはどことなく品の良いおばさまって感じだった。教授回診の時くらいしかお見受けしなかったが。

 二番手にどことなく強面(こわもて)のばぁさまと、チャキチャキで賑やかそうなこれまたおばさまとのタッグで病室の患者も含めて全体を締めているといったところだろうか(怖っ)

 そして、若手看護婦さんの姐的存在のどことなくタレントの兵藤ゆき(古っ)似の方が後に控え、若手を束ね業務遂行をしている模様。

 あとは前述の「般若さん」、”ちょん切っちゃいや〜!”の「アラレちゃん」(第5話参照)、遠藤くん好みの「ザ・グラマラス」(第7話参照)、んなろっ!「カマ掛け小娘」(第9話参照)、植皮手術の際に大事な息子さまを見られちゃったよ〜の「女史」、美人なんだけどどことなく威風堂々としているので「大将さん」、立派なおデコ故に「デコっぱち」.....他オールスターキャストで我々患者をもてなしてくれていたわけだ(違っ?!)

 あ、それからそれから通称「あなちゃん」。年はオレより一つ下でしっかり者。
 なんとなく一番優しく親身に対応してくれていた気がするぅ〜。
 ムフフ…オレに惚れたな。
 オレも罪な男よのぉ〜☆○(゜ο゜)oドカッ!.....ムムムッ?!何をする!
 その証拠は後にはっきりするわいっ!(まだ言うか)

 とまぁ冗談はさて置き、実際問題直接目の前で看護婦さんのその仕事ぶりを垣間見ていると、こりゃもう職業という概念では到底続けられる仕事ではないなとつくづく思い知らされる。
 物凄い重労働。体力勝負でありながら、扱っているのは命故に神経もすり減らしつつ・・・。あのような姿を見せつけられていてはこりゃもう頭上がりまへんな。
 勿論、せんせも大変だが、それをサポートする看護婦さんのご苦労は並々ならぬものがあるだろう。慎んでご冥福.....違――うっ!...お礼申し上げ候。






久々シャバの空気.....
 12月18日。
 ようやく決まった退院日。

 思えば強制収容されたのが10月の21日。しつこいようだが、オレの25回目の誕生日のイヴのことだった。それから数えて、2ヵ月弱。長かったような短かったような・・・んにゃっ!絶対長かったってっ!!

 しかし、いざここを去る日が決まってしまうと、変な話、妙に去り難く思っている自分がいた。いやもちろん、即刻退院してしまいたいのが嘘偽りのない気持ちではあるのだが、この2ヶ月弱という日数をこの病院、この部屋、このベッドの上で過ごしていると、横たわるベッドのうえから見上げる天井のシミ一つまでいとおしくなってしまうから不思議な話だ。

 しかしいつまでもこんなところで燻ってばかりはいられない。出られる人、社会復帰のできる人は、それを望んでも叶わない人の為にも即刻野に出て再び人生修行の続きを始めなくてはならないのだ。立ち止まっている場合ではな―い。
 さ、吹っ切ろう。


 と、その前に、自分がどれだけ社会復帰を耐え得るだけに復調したのか試してみようか。

 退院を数日前に控えた日曜日。
 近場を散歩してこようと思い立ち、「外出願」を提出し受理された。
 その日は「ディフェンダー」こと彼女に付き添ってもらい、久々新宿の街に出てみることにした。

 そりゃもちろん、その本当の目的は・・・・・


 例の・・・・・・の為であることは言うまでもない。


 それと、これまた不思議な慣習である、お世話になった主治医のせんせとか看護婦さんなどへの御礼の品々を買い求めに。
 いつもこの「御礼」という慣習を疑問に思って今まできたのだが、この時ばかりは素直に『是非とも御礼をしたい。御礼の言葉を述べたい。』と思った。それだけある意味快適に楽しい病院生活を送れたことにとても感謝していたからだ。


 外出当日。
 朝食後、彼女が病室まで迎えにきた。
 相変わらずの健気さはご苦労なことだ。
 これも、もうあと僅かのことである。
 2ヶ月ぶりに着る病院着以外の服。なんだかとても懐かしいというか、逆に照れ臭いというか、なんとも言われぬ不思議な感覚がした。

 そして彼女に付き添われながら、2ヶ月ぶりに病院の敷地の外へ出た。

 街はすっかりクリスマス・ムード一色に染まっていた。
 クリスマスの飾り付け、そしてどこからともなく風に乗って流れてくるジングルベルの調(しらべ)。
 よかった・・・なんとか間に合ったようだ。

 ん〜〜〜・・・シャバの空気は良い♪
 都会の空気はお世辞にもうまいとは言えない。
 けれども、やはり「うまい」のであった。

 すっかり冬となっていた外界のキーンと冷たく張り詰めたような空気の中を、周りの人と同じように襟を立て少し背を丸めて足早に...というわけにはいかないが、それでも普通に歩くよう努めた。
 しかしいくら毎日朝練を積んできたとはいえ、やはり相当に体力筋力などが落ちているのは如実であった。ちょっと歩いただけで足腰がガクガクになり息が上がってしまう。そして何よりも「人混み酔い」がした。人の流れモノの流れが速くてなんだか目が回ってしまう。こんなものはすぐに慣れてしまうものではあるが、いきなり新宿の街中で立ち往生してしまっては困ってしまうので、これはリハビリだリハビリだと自分に言い聞かせ懸命に歩き続けたのだった。


 さてその後、彼女とどこでナニをしたかはナイショの話としておこう。ムフ…


 日も暮れてきた頃、病院へ帰る途中新宿のデパ地下へ寄り、せんせ方への御礼と例の掟によるところの「貢物」を求めて彷徨い歩いた。
 閉塞された空間と更なる人密度により余計「人混み酔い」を感じ、しまいには自分は外で待っていて彼女に買い揃えてきてもらう始末。
 いやはや、まいったまいった。

 薄暗いをヨタヨタしながらもしっかりと地面を踏みしめながら、病院の廊下ではない外界の一般道路を再び歩いていることに喜びを感じつつ、これならゴールは間近だという自分としても確かなるモノ、自信を得られたことをとても嬉しく感じていた。日が暮れて一層寒さは身に染みてはきたが、心の中では”やったるでぇ〜”というかなり前向きな気持ちで一杯になっていた。


 無事に制限時間内での帰院。
 手ぶらだった行きも、帰りの両手には袋がぶら下げられていた。
 しかもそのうち片方の袋はなにやらとても重そうだった。
 どうしてだか、たまに何かの物同士が触れ合うぶつかる音がするのだが。
 そう、なんだかアルミ缶のぶつかり合うような音が・・・。
 おまけにもう一つ、なんだかとても香ばしい匂いもするのだが。
 気のせいだろうか、その匂いを嗅ぐと焼き鳥を連想してしまうのだが・・・

 ふ〜〜〜ん、不思議だなぁ〜






淡い恋心?!.....

 さてその晩、何があったかはご想像に任せるとして、それからはとりあえず今回お世話になった方々へ御礼の挨拶回りを始めた。
 外出した日に用意した物をそれぞれの人へと出向き手渡しお礼を述べて回った。
 それはいわゆる慣習からの行為ではなく先にも述べたが、心からの感謝の気持ちを伝えたいと純粋に思った上での行動であったことは言うまでもない。
 ナースステーションの若い看護婦さん達には、時節柄クリスマスを感じさせる.....飴玉なのねん(笑)。ひとり一個づつ渡るように大きめの飴玉一個を小さいニットのクリスマスの帽子を被せた可愛いの。なにせ人数が人数だけにこれが限度。
 主治医のせんせにはやっぱ酒かいのぅ・・・

 そんなこんなで着々と12月18日の退院に向け準備を整えつつあるのであった。

 こんなところには二度と来たくないという気持ちとそうではない気持ちと、複雑に入り混じった何とも言えないものを背負いつつ、じっとその退院の日を待っているのであった。
 ま、とっとと出たいんだけどね。


 12月17日...オレの退院の前日のこと。

 同室の遊離軟骨除去手術を受ける為に遠藤くんと入れ替わりで入ってきたおいちゃんが、この日退院することになっていた。まぁ、ただ単に膝を切開して除去して塞いで...の為、この部屋では一番最近入ってきて、そしてとっとと出て行かれるわけだ。
 せっせとおいちゃん、朝から退院の準備を整えていた。
 そんな様子をぼんやり見ながら、明日はいよいよオレも退院かぁ.....物思いに耽るオレであった。

 するってぇとおもむろに看護婦の「あなちゃん」が病室にやってきた。
 なんぞや???と思っていると。。。

 「ミヤザキさ〜ん(オレの本名)。」

 「明日の退院おめでとうございますぅ♪」

 「残念ながらその日夜勤でもうご挨拶できないので・・・」

 「お元気で〜(^o^)ゞ」

 言い終えたあなちゃんが病室を去った後で、周りのオッサン連中.....

 「おいおい、そりゃないべさ。あのおいちゃんを素通りかい?今日退院だのに・・・(大笑)」

 「ありゃぁ、キミに気があるな。いつもの態度でも分かるわい。」

 「そうじゃなきゃ、わざわざ挨拶しにくるもんかい(笑)」


 うぅ〜、日頃の態度で薄々気付いてはいたが、しかし、連日のディフェンダーの守備は固く、なかなか突破できなかったのであった(何をだ?)

 あなちゃん、元気でねぇ〜〜〜〜〜〜(;。;)


 そんなわけで、もしかしたら生まれたかもしれない看護婦さんとの恋愛ドラマは、残念ながらオレの退院であっけなく幕引きとなってしまったとさ。













 この勘違い野郎――――――――っ!☆○(゜ο゜)oドカッ!













・・・・・失礼つかまつった<(_ _)>
















いざ旅立たんっ!.....

 ようやく2ヵ月のとてつもなく長いような、それでいて惜しむべく短かったようなオレの入院生活が間もなく終結しようとしていた。
 とんでもなく痛かった前半戦と、なんともいえない極楽浄土の後半戦と。でも振返ってみれば結局はとても有意義な時間を過ごしたような気がした。いやはやホント、入院生活が有意義だなんておかしな話だな。

 朝飯食って身支度を始めるオレの傍らで、隣のベッドの室井のオッサンは予定していた大腿骨骨頭の再手術の準備に追われていた。奇しくもオレの退院の日と室井のオッサンの再手術の日が一緒であった。
 AM10時に手術室入りの室井のオッサン。
 AM10時頃、会計後退院のオレ。

 オレの母親が迎えにきた。
 AM10時になったので母親に会計を済ませに行ってもらう。

 AM10時になったので室井のオッサン、手術室に向かう。

 フフフ…最後に脅かしてやろうか(笑)

 何故だかわからんが、一足先に中央手術室を目指した。
 一人エレベーターに乗り、中央手術室のあるフロアに降り立った。
 そういえば、オレも1ヶ月ほど前にこの静けさの中に降り立ち、無機質なあの自動ドアをくぐって行ったっけ・・・。とても懐かしく思った。

 さ、そろそろ来る頃だな。


 ”ち―――ん”エレベーターの辿り着く音。

 中から看護婦さんに押されたストレッチャーが出てきた。

 「どもっ!」

 「あ〜、どこへ行ったかと思ったら、こんなところにいた(笑)」

 「頑張ってきて下さいね!室井さん。オレはこれにてお先に退院します。」
 「1ヶ月後に外来検診しますからね。その時までは・・・・・いそうですね室井さん(笑)」



 ちょっと声のトーンを低くして(…つまり看護婦さんに聞こえないように)。。。


 「その時の手土産は、アレでいいですね?アレで・・・(^_-)-☆」

 「おうっ、アレでいいよ、アレで・・・(大笑)」


 「それじゃぁ、さよなら!」

 「元気でな!」


 軽く手を上げた室井さんを乗せたストレッチャーが、手術室の自動ドアの向こうへと吸い込まれて行った。

 なんだかわからんが、室井さんがいたからこそ楽しい入院生活を送れたと言っても過言ではないような気がするし、そんなオッサンに対し友情のようなものを感じずにはいられなかった。

 「それでは、お元気で・・・・」

 オレはその場をあとにし、病棟へと上がって行った。

 会計を済ませた母親が戻ってきた。
 これでいよいよ準備が整った。

 さ、我が家に帰ろうか。


 病室のオッサン連中に挨拶をし、なんやかんやと増えてしまった手荷物を両手に抱え2ヵ月間世話になった病室を後にした。

 ナースステーションに寄り、そこにいた看護婦さん達に挨拶した。

 見慣れた風景の中、歩き慣れた廊下を歩き、昼夜を問わずたむろっていたロビーを傍らに見ながら、14階まで上がってくるエレベーターを待っていた。

 そうそう、そこのロビーの窓の外から間近に見えるヒルトンホテルの客室の灯り。
 「くぅ〜〜何の因果か、あっちとこっちじゃ天国と地獄やなぁ〜」
 「早く退院して、早くあっち側へ行きてぇなぁ〜」

 入院仲間とよくボヤいていたものだった。


 エレベーターの扉が開いた。

 「ほんじゃぁな…」

 心の中で呟き、ここに別れを告げた。


 さ、感傷に浸るのはここまでここまで!
 とっとと、今まで停滞していた自分自身を再開させなくてはいけない。
 全てをあの日あの時の続きから.....スイッチオン☆

 病院を後にしたオレは後ろを振り返ることなく、そして何の助けも借りず、自分自身の足でヨタヨタと、しかし一歩一歩踏み締めて自分の世界へと帰って行った。

 そして心の中でこう呟いた・・・・・











 二度とこんなところに来るもんかぁぁぁぁぁぁぁぁ――っ!











・・・・・・・・・1ヶ月後に外来検診で来るんだけどね。(-。-) ボソッ











 いやいや、そういうことではなくて・・・(笑)











それから1ヶ月後.....

 とりあえず退院してからというものの、多少動きにぎこちなさもあるものの概ね順調に社会復帰を果たしていた。
 困ったことといったら、当時の我が家は「和式便所」だった為に、しゃがむのが辛かったことくらいか。せいぜいそのくらいなものだ。

 荒れ果てた自分の部屋もそのままに、退院してきたオレを出迎えてくれた。
 逝ってしまったバイクの姿はなかったものの、フフフ…まだあるのさ。そいつが早く走らせろと訴えかけているようだった。まったくもって、この大バカ野郎!


 さて、退院から1ヶ月が過ぎたある日、オレは経過検診の為、病院を訪れた。

 な〜〜んでだかわからんけど、両手には必要ないはずの手荷物がぶら下がっていた。
 な〜〜んでだかわからんけど、妙に重そうだった。
 な〜〜んでだかわからんけど、中から時折アルミ缶同士がぶつかり合う音がするのだが。
 な〜〜んでだかわからんけど、片方の袋からは妙に香ばしい匂いがするのだが。


 外来で受付を済ませ、大分待ち時間があったので14階の病棟へと上がって行った。
 エレベーターの開いた扉の向こう側は1ヶ月前の見慣れた風景そのものだった。
 とても懐かしい。
 まるで我が家に舞い戻ってきたかのような不思議な感覚に囚われていた。

 お久しぶりの方々と挨拶を交わしながらあの場所へと向かった。

 開いている扉の前へ立ち、中を見渡してみた。

 ほほほ・・・。相変わらずの懐かしい面々、クソオヤジどもがま〜だいやがるっ(笑)


 満面の笑みを浮かべオレは部屋に足を踏み入れた。

 満面の笑みを浮かべオッサン達はオレを出迎えてくれた。

 なんだかとても嬉しかった。


 相変わらず同じ場所でひっくり返っている室井さんに目で合図した。


 「はい、これ。お見舞いです。」


 「おっ、悪いね〜・・・」


 室井のオッサンは悪戯っぽく微笑んだ。

 今夜は楽しい宴会やな。
 くれぐれも「般若さん」には気を付けてね(^_-)-☆


 「それじゃぁ、みなさんお元気でっ!」


 そう言うと、オレは病室を後にした。


 痛く辛くも楽しかった日々を思い出しながら、病棟を後にした。
 もうオレの居場所はここにはないのだから。
 さ、とっとと終わらせて、とっとと帰ろうか。

 もう二度とここに世話になるまい、そう心に固く誓ったのだった。










 ・・・だといいな・・・(爆)













あとがき.....

 なんだか書き出したら結局シリーズ10話まで計らずもいってしまった。
 書いているうちにあれやこれやと懐かしい思い出が溢れ出てきて困ったほどだ。
 それだけこの入院生活がオレ自身の人生に多大なる影響を与え、かなりのインパクトがあったことに他ならない。
 今では決して文中で述べている「人生の足踏み状態」ではなかったとオレ自身思っている。貴重な体験だったと思うし、意識はしていないが、きっと何かの勉強になったと思うし何かの足しにもなったと思う。というか、そう思いたい。


 ただ、はっきりと言えること。
 それは。。。


 偉そうな屁理屈並べても、結局行き付くところは。。。










 入院なんかするもんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――っ!










 。。。ということだ。(当たり前)

 とにかくこの入院生活では周りの人間に多大なる迷惑を掛け捲った。
 一人で勝手に入院生活を送っているというわけにはいかん。
 身の回りの様々なサポートをどうしても身内の者に頼らざるを得ないわけだ。
 母親、弟、、、今回はディフェンダーこと、正彼女にはかなりの世話になった。彼女には結局入院期間中、本人が自身で食中毒でぶっ倒れていたらしい一日だけ来なかったのみであった。あとはずっと世話になりっぱなしであった。

 そう、それは今でも感謝している。

 ちなみに、このディフェンダーこと正彼女とは、何を隠そう今のオレのカミさんであることは言うまでもない。それ以来、尻に敷かれていることは内緒の話である。











 ちなみに、バッタリ鉢合わせのあの話の詳細も実は内緒の話である。あっ・・・・・











 そんなわけで、ようやくこの「病院へ行こう」も着陸できそうである。
 こんな拙いものに長いことお付き合い頂きましてまったくもってありがとう!
 感謝感激感涙感屁!


 ついでに、オレの近況はというと。。。

 そう、バカは死ななきゃなんとやら・・・
 性懲りもなく、相変わらずバイクには乗っている。

 そして性懲りもなく・・・・・











 これを執筆期間中に、そのバイクでコケて、見事左手親指を骨折するという憂き目に遭ったわけで・・・こりゃもう筋金入りとしかいいようのない愚かさか。

 しかし周囲の白い目を掻い潜り・・・

 きっといつの日か、再び・・・・・ぶろろろろ〜〜〜ん












 そして、またしてもいつの日か














「病院へ行こう・リターンズ」かいっ!

 ☆○(゜ο゜)oドカッ!














おしまいっ!
'02,7,1up
written by cow-boy


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