おもちゃ箱
〜 トヨタ・ハイエース〜
 まるで、ドラえもんのポケットみたい。いろんなものを詰め込んであっちこっちへ。エアコン付いてないぞ!遅いぞ!疲れるぞっと。でも楽しい遊びのお供。

 サーキット遊びを覚え、徐々に装備も本格的になっていった、時は'89年の頃。レーシングライダーを気取ってバイクをレーサーもどきにして、そこまできたらトランポも揃えなくちゃ…。そんな時、格安ボロボロ、とりあえず走りますよ〜なものを探し出した。トヨタのハイエース。もちろんトランポとしての使い勝手を追求してロングを選んだ。しかし、エアコンは付いていない。そこは若かりし頃、夏の暑さなんか根性だぁー!とばかりに屁とも思っていなかった様だ。

 まずはトランスポーターに見える様に、せっせと窓に黒フィルムを貼り付けて、別にスポンサードを受けているわけではないのに「気分よ、気分♪」とばかりにベタベタといろんなステッカーを貼り付けた。気分はすっかり"ワークスライダー"さ。ばっちり決めて、月に一回週末はレーサーを気取りサーキットに通う事2年くらい。その行き帰りの足として十分機能していた。それからというものの、いろいろな場にその「おもちゃ箱」を引っ張り出していった。オフロードに目覚めた時にはバイクを車に積み込み、よく河川敷やらモトクロス場にも通った。夏休みなどには、そのオフ車やらキャンプ道具などを満載し、現地のキャンプ場でそのオフ車で走りまわったり…。あと冬場は日帰りスキーにまで駆り出した。4WDではないそれはよくスタックしたっけ。一回転のスピンをした事もある。あの時は肝が冷えた。

 時は、'90年。念願の鈴鹿8耐に行くべく暴挙に出た。7月の最終日曜日が決勝の日。その当時とてつもなく仕事が忙しい時期でとても休みなんかもらえるわけもなく、それでも何としてでも行きたかった私はある計画を立てた。土曜日の夕方、仕事が終わってから出発し夜通し走り、翌朝つまり決勝当日にサーキット入りし決勝を堪能し、そしてその夜東京に向かってひた走り月曜日の朝にはその足でご出勤!・・・しかも乗って疲れる走って暑い、法定速度を出すと車がバラバラになるのではないか?と思ってしまう程のポンコツで…。若気の至りというか無茶無鉄砲というか、やりたい事はなんとしてでもやり遂げよう!という気合と根性はそれはそれは素晴らしいものがあったみたいだ。

 かくして予定通り計画決行した。土曜日の夜、仕事が終わり次第東京を出発し東名高速を西へ西へとひた走った。走っても走っても距離は一向に縮まらない。睡魔と夜だというのにその暑さと闘いながらとにかく目指した。とにかくスピードが出ないのでまさに神経戦の様相を呈していた。
 やっとの思いで辿り着いたのがAM5時頃。朦朧とした頭のままでサーキット入りし場所を取り、ひたすら決勝を待ち・・・いつしか炎天下だというのに眠りに入っていたりして。
 そんなこんなやっとの思いで念願叶って8耐を一通り堪能し帰路につこうとしたのがPM10時過ぎ。車に乗りハンドル握って・・・あぁもうダメだ…。エネルギーがすっかりEMPTY。このまま動き出す事もできずに2時間ほど仮眠を取った。AM0時過ぎになんとか走り出すも、高速道に乗ってからというもののPAというPAに止まりまくって休憩・仮眠を取りながらなんとか東京に向かって進んでいく。
 夜が明け日が昇り、その日が真上を通り西へ傾いていく。仕事?そんな事を考える余裕はなくなっていた。とにかく無事に帰還する事。必死の思いで家に辿り着いたのはどっぷりと暮れたPM8時頃だったと思う。とにかくこんなサバイバルは初めてだった。土曜日の夜から月曜日の夜まで満足に寝ない爆走は何とか無事にその幕を下ろした。今考えても2度とやりたくないドライブだった。ちなみにその次の年からはもう少しまともな車で通うようになった。知恵がついたみたいだ。若かったのねぇ(遠い目)

 何かと辛い思いをした事もあったけど、その倍以上の喜び満載だったこの超ポンコツ号。またの名を「おもちゃ箱」。何でもかんでも詰め込んで、楽しい思い出をありがとう!おまえはもう動き出す事はないけれども、おまえと「無茶」した日々は決して忘れないよ。

 今も尚、この「おもちゃ箱」は駐車場に止まっている。すっかり「おもちゃ箱」ではなく「ゴミ箱」になってしまっているけど…。これはこれで便利なんだよ。
 ほんじゃまたな。Bye!

'01,3,20
from cow-boy




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