覚醒
〜 HONDA MB-5 の想い出 〜

 ヤツはいつも夕方にやってくる。
よほど暇なヤツなのか、定かではないが…。
 今となってはヤツに感謝さえしている。

 あれは私が高校2年の頃、夕方自宅で一息入れているといつもの如く「こんちわ〜」と私の家を訪れてくる。呼ばれて外に出るとヤツがいる。中学時代の友人である。傍らには黒いバイク。まだ私自身バイクの「バ」の字もわからない時。そして私自身、バイクにだけは乗るまいと心に誓っていた時。善良な一小市民たる私は悲しいかなその当時の一般世間的な思考を持ち合わせていた。『バイク=悪、暴走族』そんなことから、ヤツの傍らに偉そうに鎮座しているそのバイクには見向きもしなかったのだ。だからそれが’MB-5’というバイクで、そしてそれが「50ccの原付」だなんて毛頭考えも及ばなかった。私にとってはまるでナナハンにさえ感じられる車格であった。というよりバイク=ナナハン・・・これまた変な思い込みである。

 うら覚えではあるのだが簡単に’MB-5’がどんなバイクだか説明すると、天下のHONDAさん製の50ccスポーツバイク。現在50ccというとすぐさま’スクーター’をイメージするが、コヤツは「オートバイ」な出で立ち。同メーカーの’NS50F’のルーツといったところであろう。エンジン形式は2ストロークでいわゆる煙モクモクエンジンである。車格は50ccにしては大柄。重量感があったように記憶する。スピードもメーター読みで軽く3桁へといざなってくれた。
 とにもかくにも初めて自分自身で触ったバイクなので何もかにもが新鮮で強烈でストレートで重くて威圧感があって偉そうで・・・

 毎日毎日やってくるヤツは別に用があってやってくるわけではない。こちらもそれに付き合って応対しているという事は私自身よっぽど暇だったのだろう。家の前でただただ’ダベって’いるのである。とりとめもない話がほとんど。まぁその時期の友人同士の会話なんかほどんどがそんなものなのだろうが…。

 そうこうしているうちにその傍らにいつもある最初は興味すら沸かなかった’アレ’に少しづつ目が向いていく。話題の矛先もいつしか’アレ’に関するものも多くなっていく。これは何?じゃぁこれは?どうやって動かすの?エンジン掛けるのはどうするの?走り出すのはどうするの?。。。なんだかヤツのがそのような質問を私がするように誘導していったが如く、いつしかすっかり話題の中心になっていた。しまいには’アレ’に跨り、そして・・・。ギュイーンギュイーン!マフラーからは2ストバイク特有の薄紫色の煙が立ち込める。うぅ臭い・・・それをいつしか「心地良いオイルの焼ける匂い」と感じるようになろうとはこの時点では本人夢にも思わなかったのである。
 目覚めたエンジンの鼓動に一人興奮しながらも悦に入っている自分がそこにいる。今思うとたかだか50ccエンジン。しかし当時の私にとっては一万馬力のスーパーロボット級にさえ感じていた。自分の股座で剥き出しの心臓が鼓動している。その感覚にすっかり虜になっていた。

 やはりどうしたってエンジンを掛けてしまうと次は走り出したくなるのが人情と言うもの。ヤツも私を「仲間」に引き摺りこみたいと思っているのか、ホントあれこれ熱心にご教授してくれる。『左手にあるのがクラッチ。握って左足のペダルを踏み下ろして1速に入れて、徐々にクラッチを離していき・・・。はい、ゆっくりと・・・』「おっ!動いた!」と同じに、スコンっ・・・エンストした。お約束であるが、しかしこの時自分の中で何かが弾けたのを感じた。そして何故だか分からないが無性に顔がニヤけてくる。身体のそこから何かが涌き出てくる。楽しい!。。。

 それからというもの、ヤツが来る度に、乗せてくれとねだる。ヤツもまんざらではないみたいで、あれやこれやと’弟子’に指導してくれる。家の回りをぐるっと一回りしてくる。その当時、原付はノーヘルOKだった。だから余計に低速でも「風」を感じる事ができる。この爽快感を味わってしまったらまさに病み付きだ。大きな声では言えないが当然この時点では○免許である。いけない事とは知りながらも・・・若気の至りといったところだろうか。勿論その後、これではいけないと私と同じバイク乗り予備軍の友人と原付免許を取得しに試験場に足を運んだ事は言うまでもない。

 ’ヤツ’と’アレ’には今では大変感謝している。どっぷり浸かった今の自分のバイク生活。彼らのお陰で私は「覚醒」した。バイクを抜きに私を語れない。そんな私の基礎を築いてくれたといって過言ではないと思う。

 ありがとう。そしてまたいつかどこかで!

'01,3,17
〜「ヤツ」と「アレ」に捧げる
by cow-boy...




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