パパさんライダーの 憂鬱


 鳥の囀(さえず)りを目覚ましに、ごそごそと寝床を離れる。時計と睨めっこしながらそそくさと身支度を整え、タンクバッグにグローブ、ヘルメットを抱えながら急ぎ足で玄関へと向かう。傍らの部屋ではカミさんチビ助当然まだ夢の中。子供の寝顔はまさしく”天使”そのもの(この際カミさんの寝顔は・・・置いておこう)。毎度その”天使サマ”に向かって「ゴメン!」と心の中で呟きながら自宅を後にする。これが私のツーリング前の朝模様。そしてこの春にもう一匹”天使サマ”が増えたわけだが・・・
 ところで、何故に「ゴメン!」なのか?誰の何に対する「ゴメン!」なのか???とはいえ一瞬でも心が痛み、良心が痛み、その言葉が浮かんだのだ。世のご同輩、このような事を感じた事はござらぬか?

 バイクは本来一人乗りの乗り物。逆に言うと1人(+1)しか乗れない効率の悪い乗り物。しかしその機動性を生かして渋滞路でも何のその!すいすいと泳いでいく事もできるわけである。そして何よりもクローズド・ボディーの自動車なんかよりも数段勝るこの爽快感に酔いしれて、数々の不自由さをもものともせず今だにバイクと戯れているわけである。
 しかし現在の私は家庭持ちの身。100%バイク乗りでいられるはずはないし、いさせてくれるはずもない。まぁこれは当然の事であるが。
 遥か昔、自由気ままなまだ若かりし頃、バイクの楽しさに目覚めた私はそれこそ付き合っていた彼女(現カミさん)も放ったらかしにして仲間とのバイクライフを謳歌していた。行き付けのバイク屋では深夜2時過ぎまで”バイク”を楽しんでいた。
 そんな生活にも刺客の魔の手は着々と伸びてきたのである。外堀を埋められ内堀までに手が及び、気が付けば天守閣のシャチホコの上に必死にしがみ付いている私がいた。それを地上に叩き落されて万事休す、ついにこの私が所帯を持つ事になってしまった。さぁその瞬間、あちらこちらからいろいろな”シガラミ”という名のツタやら鎖やらが伸びてきて身体中に巻きつき気付けばガンジガラメの私は囚われも身?
 だからといってこの「バイク馬鹿」が治るわけもなく、その領域だけは何とか死守したのであった。そこいらへんの境界は一応良識ある大人の分別ある言動ということで今だにカミさんから三行半(みくだりはん)を突き付けられるような事はないみたいだ。よって、常識を逸脱しているとは本人思ってはいない、というか思い込んでいる。
 ツーリングクラブなるものに入り、月に1回づつのツーリングとミーティング、それとたまにのイレギュラーイベントなど。さすがにこれ以上となると、でかいカミさんの目から光子力ビームが放射され敢無く撃沈される。この日はどうしても!と切望する際はいわゆる”司法取引”をするわけだ。「な〜んでもするから、お・ね・が・い!(はぁと)」って。

 さて、そうこうしているうちに長男誕生となるわけだが。完璧非難されそうだが、だからといって殊更にこのパターンが崩れるわけもなく相変わらずカミさんの顔が”大魔人”に変わらぬ様日頃からのご機嫌伺いで点数を稼ぎ、ここぞとばかりに出掛け”させてもらっ”ていた。いやはやカミさんには感謝感激雨霰。
 但し、やはり長男が「赤ん坊」から「子供」に成長していくにつれ自分自身の中でも変化が起こりつつある。”起こりつつある”という現在形なのは今尚変化しているからである。
 今までの長男がまだ「赤ん坊」だった頃。殊更に父親がいてもいなくても赤ん坊は淡々と過ごし育っていく。母親さえ(母親に限らず)そばにいてその時々の世話をしてあげれば問題はない。ちなみに誤解なきよう申しておくが、これはあくまでも最大公約数的な例である。時としての最低限な赤ん坊に対するサポート体制であるという意味である。だから月にこの程度の自由な時間を過ごす事は夫婦間に摩擦が起こる心配がないならば人からとやかく言われる筋合いのことではないと思っている。そう、あくまでも摩擦が起こる心配がなければの話ではあるが・・・。

 我が家の長男は先日6歳になった。次男は先日4ヶ月になった。子供が2人になった。カミさん大変だ!いやこの際「大変」だとか「大変」じゃないとかは問題でない。「大変」なのはトーチャンも同じ事。では何かと言うと、ここにきてにわかに「父親」の”存在”と”意味合い”の重要性が生じてきた様に思う。無知無教養で父親半人前以下な私に具体的な見解を述べよと言う方が無理な話であるし、ましてやこの場で小難しく似非子育て論などをまくし立てる気など毛頭ない。ただ単純純粋に自分の中で最近感じてきている事を一つだけ言うならば『時間の許す限り子供と同じ時を過すべし!』である。今まで自分の致してきた事と180度いやいや360度...では元に戻ってしまう。540度も方向変換してしまった。何故にこうも考え方が変わってしまったのだろうか…
 私は仕事柄週休二日などは夢のまた夢、それどころか祭日も関係なくつまりは日曜日だけが休み。子供たちとゆっくりと接する事ができるのはその唯一の休みである日曜日だけである。つまりその日曜日に”ふーてんのトーチャン”の如くふらふらと飛び立ってしまうと・・・。そこいらへんはまさにジレンマである。

 時々我が子の顔をまじまじと眺めてみる。親の気付かぬうちに刻一刻と育ち変化していっているようだ。ちょっとした仕草や言動に時々ハッとすることもある。この年代の子供の成長というのは本当に早い。やはり自分の子供は可愛いものだ。「マイホームパパ」とか「愛妻家」「家庭サービス」ってな言葉をことごとく毛嫌いし拒絶している私は敢えて対外的に無関心を装っていたのかもしれない。が、やはり可愛い。
 そしておもむろに気付いた、前述の心境の変化を。。。
 それは「子供の為」の改心ではなくて「自分の為」なのではないだろうか、と。
 つまり「見逃すな!」なのかもしれない。
 刻一刻と成長を果たしている我が子のこの瞬間を見逃さない様、そして大切に見届けたいと思っているのかもしれない。一緒にいてあげる事は子供の為には勿論大切なことだが、それだけではなくて親である私自身の為にも意義ある事。親vs子の、この状況この瞬間はこの時だけのもの。長男も今は父親を求めている。自身の実体験からもどうせ中学生高校生となっていくと絶対に親から離れていくもの。それが必然。であるからにして、今のうち。。。

 丁度今現在が興味深く面白い。6歳となり大分親の手が掛からなくなってきた長男。そしてこの春にこの世に出てきたばかりでようやく4ヶ月となった次男。
 およそ6年ほど前、長男がまだ赤ん坊だった頃の子育て模様などすっかり忘却の彼方であった。幸か不幸か(?)今回再びその頃の事を嫌が応でも思い出させてくれている。そういえばこんなだったなぁ、そうそうそんな感じだった...etc。まるで使用前、使用後の何かの広告を見ているようだ。そういう意味でこの両名の対比を連日とても興味深く見ている。この「興味深い事」というのがそもそもの心の分岐点なのかもしれない。勿論「興味深」くなかったら子供を家庭を顧みないのか?というわけでは断じてない。でもどうせ接するのであれば「興味深い」方が子供も親も楽しいと思う。そしてお互いの為でもあるだろう。


 この文章を書きながら自分の中での考えをまとめていった為、かなり滅茶苦茶破茶滅茶な論理やら文章になってしまったと思う。まぁそれだけ今の私の心の中は流動的でその時々でその考えすら方向変換する可能性もあるわけだ。ただこの日この時に自分の心の中を流れていった思考の軌跡をここに記してみただけである。日頃のほほんとしている私もとりあえずこんな事を考えているという事を。。。
 さぁ、こういったことを踏まえてこれから先の私自身のバイク乗り人生は如何になるのか?バイク乗りとしての本懐”自由奔放勝手気まま”とそれに対極する”家庭人”。その間に張り詰める微妙なバランスをどのようにとっていくかによって、みんな幸せか、一人幸せか、はたまたみんな不幸かの分かれ道となっていくであろう。

 私の手に追えない似合わない事は必至の大それた話題提示をしてしまい、さてどこに着陸しておこうか滑走路を探しているところだが...。
 とりあえず結論。。。
 人生は長い。自分自身もまだまだこれから。やはりこの時この瞬間にしかできない事、楽しみ方というのは何にしてもあると思う。それはバイクにしても同じ事。この年齢でのこの瞬間の楽しみ方。この時でないと乗れないバイクだってあると思う。しかし何にしても同じバイクである。同じ風は吹いている。あの頃の熱き思いは何年ブランクがあろうとも瞬時にフラッシュバックするものだと信じている。つまり今何もガツガツすることはない。10年後20年後も今と同じ風が私には吹いてくれると信じているし信じたい。
 それだったら「今」一番「興味深い」ものを目一杯楽しんじゃおう。
 そんな感じの発想の転換をしたら何だか妙に心が落ち着いた。真綿で首を締めるが如く自分自身の行動の制約が徐々に多くなり始めフラストレーションの固まりであった頃も正直あった。休みの日には絶対にどこかへ出掛けないと気が済まない強迫観念にも似たものも今ではすっかり憑物が落ちた様にのんびりと構えていられる。今の時をの〜んびりと、この「興味深い」ものと過ごす事の心の安らぎにゆらゆら漂っているといった感じである。

 そう、「今」はこの事を成し遂げよう!

 それを無事に遂行した暁には。。。またあの頃の風を探して。。。
 それからでも遅くない。

 それからでもまだまだいけるでぇ。

 人生は、焦らず急がずのんびりいこうでぇ

 だからこれからも、のんびりスタンスでいこうでぇ〜

なんだか、オトーチャンの所信表明演説になっちまったな。


'01,8,2
written by cow-boy
Back






。。。などと何だかもっともらしいことを言っているが、
果たしてその通りに大人しくしていられるかぁ?
もしまた”目覚めて”しまったならば、
許せ!カァーちゃん!!