= 序章(・・・つか余計なつべこべ) =
ここだけの話なんですけどね・・・ 当たっちゃったんですよ〜
ジャジャジャーン♪
別に子供にバイクに乗ってもらいたい、興味を持ってもらいたい、未来の8耐レーサー目指してもらいたい、、、とかコレっぽっちも思ってはおりません。まぁなんといいましょうか、たまにはコッチサイドでオトーサマと戯れてチョンマゲ♪ってノリですね。つまりは今回の家族で鈴鹿8耐行き自体がそんな考えのもとに決心・決定されたようなものでした。 「たまにはコッチサイドでね♪」ってね。はい。
いつだって子供中心な考え方、ものごとの取り決め方になってしまうというのは親としては当然であり必然です。我が家の場合もいつだってどちらかというと長男中心であり、彼のサッカー活動が根幹にあるような全ての流れ・動き方になってしまいます。まぁそれはうちのオカミサン自身も彼の所属する少年サッカーチームの世話役的な役職に現在就いてしまっているので仕方ないところなのですが。 しかし、いつもそれを、やはり「サッカー」が邪魔をする。去年は合宿が丁度その期間とバッティング。恐らく今年もだろうなぁ・・・。だとしてもいっそのこと長男抜きにして彼が行っている間こっちでも行っちゃおうか?という悪い考えまでもが実しやかに囁かれていたという事実を彼は知らない(笑)。
おっと、ところがだ!今年は絶妙にズレました。8耐前週が彼のサッカーの合宿になり、これは神様の思し召しか?!恐らく来年以降もこのパターンになるかというと無理っぽい。だとしたらこれはまさに『千載一遇のチャンス』かと。これを逃したら二度と無理かもしれない。 彼が生まれてから丁度10年。そう、彼の生まれは10年前95年の8耐決勝日をほんの数日後に控えた7月25日が誕生日。その前年までずっと鈴鹿で迎えていたその日を、この年オカミサンは傍らにちっちゃいオマケ(=長男)付きで病院のベッドの上、私は自宅のTVの前にそれぞれいました。(あ、もちろんスタートした後に病院へ急行したのは言うまでもありませんよ。はい。) それにしてもここまで鈴鹿8耐が自分らに直接関わってくるとは他人事に思えないそんな不思議な感覚とでも言いましょうか?いえ、これぞ”こじ付けの真骨頂”ですね(笑)。で、そこまで関連付けたいなら、よーしわかった!(いやいや、誰もそんなことは言ってないぞ…汗) で、彼に付けた名前が、、、「すずか(♂)」なわけですがね。なんか文句ある?(爆) その彼は自らの運命に従うが如く、それから丁度1年後の満1才をもって灼熱の8耐デビューを飾ったのでした。なんつーか、実に・・・可哀想だった、今思うと。おまけに、これまた運命の翌年97年。神は我々になんという試練を与え下さったというのか・・・台風直撃かよっ!!おいおい、前日の4耐が3耐になっちゃったよ〜。おまけに午後からの全スケジュールが全てキャンセルかよっ!午後からこの荒れ狂う最中で我らになにをせぇーちゅ〜ねん。仕方ないから近くにできて間もないどでかいショッピングモールへ逃げ込んだのでした。決勝はとりあえず8耐で行われ、初の日本人ペア優勝にそれなりに盛り上がっていた・・・はずなのですが、なにせ悲惨な状況下だったものでレース自体の印象があまり・・・ない(爆)。 そこで、我が家の『ファミ耐』は一応のピリオドが打たれたわけです。
そして、ついに今年2005年!その禁断の封印は解かれ、野に放たれるのでした。おまけに前バージョンの『ファミ耐』のときよりも更にいつの間にやら?もう一匹が増殖し、果たしてこの結末は・・・???血と汗と涙とヨダレの垂れ流し(汚い)なくしては語れまい。
『ノリックの親子でバイク教室』ですが・・・ 実はこのことを私の知り合いから聞いて知りまして早速雑誌などに掲載されていた記事を見て・・・というか、そもそもきちんと募集要項を見ろ!つーのよ。締め切り間近で急いでいたってのもありましたが、ささっと見て、ささっと往復はがきで投函して・・・で、よくよく見たら、、、
やたらと拘束時間が長い・・・
主催者へ丁重に不参加の旨をファックス致しました。
ここまで律儀にも長ったらしいのにお付き合いいただいちゃいましたみなさまには感謝とともに・・・・・
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