全くの超初心者が一人でブラブラしていてもなかなか思うように世界(=テリトリー)が広がるものではない。一人で悪戦苦闘するのもまた一興であるのだが手っ取り早くいきたいと思った場合、同じ志を持つ仲間を見つける事が近道かと思う。その時の自分もそんな事を考えたのであろう、あるバイク雑誌の”仲間募集”のコーナーで”設立希望”していた仲間の輪の中へ飛び込んでいったのだった。
時は'88年の…ん?何月だろう。忘れた。とにかく、相棒のGPzと付き合い始めて間もない頃だという事には間違いない。23歳の自分。。。
ある日、その”設立しかけている”グループのリーダーさんの自宅へメンバーが集まるというので早速初顔合わせとばかりに向かったのだった。
世田谷のとある一軒家。そのリーダーさんの自宅の中に入ってみるとほんの2〜3人の同じような年頃のにーちゃんに、ねーちゃんが1人。挨拶は簡単に済ませお互いの自己紹介を交えながら談笑に没頭していった。なるほどこれがバイク仲間というものか、なかなか興味深く自分もその場の空気と一体になろうと努力していた。なんのことはない、好きであるバイクがお互いの共通項となっているのだから溶け込む事なんか雑作もない事であった。お開きとなる頃には「今度一緒に走ろう!」とすっかり仲間同志になっていた事は言うまでもない。その日が来る事を首を長くして待ちわびていた、そうに違いないあの頃の自分。
ところがそんな間もない頃、何やら不穏な空気がそのグループには漂っていたようだ。どうやらリーダーさんとその他のメンバーとの折り合いが悪く、みんなでそのリーダーさん抜きで再結成しよう、ということになっていったらしい。自分はそんな事どうでもよかった。というよりもまだ自分自身がそこに身を置いてから日が浅くわけがわからんというのが正直なところであったからだ。
まぁ何だか穏便に話し合いで決着がついて、新たな再スタートが切れたわけだ。その時のメンバー数男4名、女1名。私のバイク乗り生活の基礎となった最初期の主要登場人物である。
さぁ気を取り直しての再スタート。早速景気付とばかりに一泊ツーリングを企てる。細かいルートとかどうとかは全く想像しがたかった当時の私は全てお任せ全自動洗濯機。はい、できあがりに食いつくだけ。
行き先は伊豆高原。土曜日の夕方、仕事が終わってから用賀のとあるファミレスに集合。そこから第三京浜〜横浜新道〜西湘バイパス・・・ここらへんまで来ると日はどっぷりと暮れてしまい、あたりは真っ暗闇状態。そんな中、仲間のバイクのテールランプが連なっているのを見て、妙にウキウキし感動したのを覚えている。
宿にはPM10時頃到着し、とっとと風呂に入り、飯を食い、そして夜遅くまでいつ果てるともなく語らっていた。ここで「酒!」が入らないっちゅーのが若いというか穢(けが)れを知らないというか。今からじゃ信じられん光景であった事はいうまでもない。そりゃぁ湯上りのビールくらいはあったろうが…。
明くる日はほんの少しだけ観光がてら伊豆城ヶ崎海岸の吊り橋を渡り記念写真を撮って帰路についたのを覚えている。今から思うとバイクで箱根伊豆なんて庭のようなもので何回行ったかわからないがその時の自分にとっては見るもの全てが新鮮でキラキラ光り輝いていた事だろう。
そして思う、、、仲間って良いな。
そんなことを皮きりに、ぼちぼちバイク乗り生活が本格化していく。とにかくバイクには乗っていたい。通勤で乗っていったり用もないのにそこいら中駆けずり回ったり。まさに楽しくてしょうがない、バラ色の時だったであろう。
仲間とは定期的にいわゆるミーティングなどで顔を合わせ、楽しいコミュニケーション、そして何よりもバイク超初心者の自分としてはいろいろな情報原であるからにして、いつも興味深く仲間とのQ&Aを楽しんでいた。ちなみにこの毎回のミーティングのスタイル。ミーティングといえば今なら真っ先に居酒屋直行のところ、可愛いじゃないか、毎回ファミレスに集う。大体毎月決まった週の土曜日にバイクで集まる。そして数時間談笑の後、時間があるものは何処ともなくつるんで走りに出るのであった。今では思いっきり開けてしまった元13号埋立地、フナカン(船の科学館)周辺。辺りにな〜んにもなくて、ここだけの話、最高速テストには持ってこいだった。たまに族のおにぃちゃん達に囲まれる事はあったが…。あとは定番、第三京浜、そこから横浜界隈。とにかく仲間と一緒に行動すると自分の中の扉がいくつもいくつもパッパッパッと瞬時に開いていく感じがする。気が付くと間口一杯のアコーディオンカーテンが一気に右から左へガラガラガラと開いていったようだ。外の世界は広大だった。